星野文紘先達の生きざまにふれる

日 時:2024年2月7日(水)
場 所:豊中不動尊
時 間:14時~17時
お 話:星野文紘 山形羽黒修験山伏
記 録:増田健氏
協 力:バードガイドKUGEオフィス
当日の流れ:
阪急茨木駅にて合流し千里中央にてランチする。ランチは大阪らしく「たこやき」を召し上がって頂いた。その後、豊中不動尊
までタクシーで移動し、到着したところから記録は始まった。まずは、豊中不動尊の
裏山になる島熊山をご案内。大阪の市街地から六甲山系を見渡せるところにて、先達の記憶が蘇って来たかのように一言、話してくれた。「千里万博の近く森が壊される」と聞いたことがると話されたのだった。聞いた話と年度を合わせるとまさしく、1996年に起きた「ヘリポート建設反対運動」と一致しました。約28年前の出来事が再び蘇り、
本当に「祈り」は「人」「土地」を繋ぐこと感じた一瞬だった。その後、豊中不動尊にてお参りして、会場に入りました。

『星野先達からの感じたままのお話』
1400年前の遺跡が羽黒山麓には出土する。時代は縄文時代。鳥居から参道にかけての付近に縄文土器が出土する。命を繋ぐために人間は狩猟してジビエ(シカ、イノシシ)を食べて体を作ってきた。『今も同じことをしている』。

『なんとなく』
羽黒山修行に参加して終了したら、涙が出る。『思考』ではなく『感情』=『かんながら』
古くは『かむながら』(惟神)と表記。「な」は「の」、「から」はそのものに備わっている
「本性」の意味。「神の本性・意思のままに」。修行では先達の真似をする。体は覚える。
ふだん使う言葉にイベントに『なんかわからんけど来た、参加した』という。裏を返せば、
『わかってたら、来ない』はず。思考、無しで参加している。

『ひと』と『人間』
『ひ→たましい、と→留まる』→無意識のままが『ひと』を意味する。1+1=?
『思考』が入る事で人間になる。明治以降。1+1=2
例えば『ヒーリング・セラピー』は思考でやっていて『おりてきた』ではない。今の世の中、
99%が人間で、0.1%が『ひと』で潜在化されている。「ひと」の部分は言語化する必要は無い。『何かわからん』けど楽しむ。

『うけたもう』は、修験道でも羽黒山伏の独特の言葉。何を言われても、受けたもう。
生きていると日々、いや、違うだろうっていうのがある。そこで対立が起きる。でも対立の先にはあまりいいことない。だから、人間が生きていくうえでの、人間社会の中での基本的なことじゃないのかな。「受けたもう」。
「受けたもう」ゆだねる(委ねる)大切さ=暮らしの中に「そうだね」を意味する。

『悟り』を言葉にしたら「悟り」ではない。
集会に「わかんないけど」行く事、参加する事で「気づき」、「わかったこところ」に行く、参加する事が「学び」になる。「専門を自分の暮らしに一体化する」「今の自分で良い」「心地よさ」に受けたもう。
『祈り』は、「人と土地をつなぐ」。普段、ありがとう、いただきます、ごちそうさま。
季 節
春→張る→芽を出す。魂が生まれる。
夏→山伏になる
秋→山伏になる
冬→魂をためる、穴にこもる。別の漢字で殖(ふえる)→たくわえる意味がある。

第2部は、写真右から星野先達、谷住職、私で「里山の保全」をテーマに意見を交わしました。
先達からは羽黒山に風力発電計画が起きて住民運動により白紙撤回になった現状や経緯の紹介、私からは1997年に起きた島熊山ヘリポート計画反対運動、白紙撤回になった経緯、現状を紹介し、谷住職からは、豊中市の一番高い山(島熊山)で修業しながら自然を見守っていいるお話をしました。最後に参加者全員の集合写真を撮り、また来年も再会できる事を祈念して終了しました。ご参加頂いたみなさま、この度は誠にありがとうございました。また豊中不動尊のスタッフのみなさま、会場設営も含めて、ご協力ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました